拝啓、久岡くん。

 

先月の頭、お店のお偉いさん方に、

「今月いっぱいで仕事辞めるヨ~」って言ったら

引くくらいキレられた。

 

バチバチに怒られるような機会になかなか恵まれない恵まれた人生を送ってきたけぇ、

対怒られ耐性がまるでない。

 

よくさぁー、果物にありがとうって言い続けたら長持ちして、

汚い言葉をかけ続けたら早くだめになるとかいうがぁー。

たぶんあんだけブチキレたら果物なんぞ一瞬で腐肉と化すんじゃないかな。

目が合っただけでドライフルーツになる。

わたしもあれからしばらくふて腐れてた。

心、死んでた。

 

辞める間際、お店の女の子らからは、

「いつでも帰ってきていいからね」

「あんたの好きなようにしたらいいと思う」

「妹みたいな存在だったから寂しくなるなぁ」

みたいなささやかな祝福の声がLINEやら何やらで続々と届いたんだけど、

うわぁなんかみんな小慣れてる…水商売やめるときのテンプレ感ある…儀礼的…

と俯瞰的なひねくれた視点から離職の喜びを噛み締めた。

 

もともとこういう激励を、素直に喜ぶくらい単純だったはずのわたしが、

自然と斜に構えたものの見方をしちゃってることにふと気づいて悲しくなった。

いかにひととしての道を脱線した環境におったのかわかった。

 

まぁ、そんなこんなで足を洗ったわけなぁけど。

わたしと入れ違いになる格好で、辞める四日前くらいかな?

黒服としてお店に入ったのが噂の彼、久岡くん。

弱冠二十歳のシャイボーイ。

 

久岡くん。

 

彼のビジュアルの特徴としてはまず、

犬夜叉を彷彿をさせるような限りなくホワイトニングが為された髪。

本人曰くアッシュグレーらしいけど、実際エリザベス女王みたいな驚きの白さ。

身長180センチくらいの巨人で痩せ型のなで肩。

顔は煮崩れしたウエンツって感じ。だけん割とイケメンな部類。

 

ほんで黒服って、

オーダー聞いて飲み物をトレーに乗せて運んだり、掃除したり、

つけまわしっつって仕事中の女の子の席替えを司ったり、

他にもいろんなサポートをする結構たいへんなお仕事で。

 

一方久岡くんって黒服の経験はおろか今までバイトすらしたことないっちゅー、

温室の無菌室育ちないわゆるおぼっちゃんで。

 

そしたら、歳も近いしいろいろ教えてあげてねって店長に言われただー。

絶対他の黒服のひとがしっかり教えてあげるべきだろなんでやねんと思いつつ、

キャバ嬢のアシストをする黒服、久岡くんのアシストを一応引き受けた。

この気まぐれなアウトソーシングがよくなかった。

 

わたしが休憩中、仲良しの先輩のキャストと談笑しとっただ。

「えるざ来週さぁ、ダブルデート的なんせえへん??」

「あ~彼氏に予定聞いてみます~っていや彼氏おらんっちゃ」

「あーそうやっけー」

「ダブルスどころかシングルスのデートもままならんくらいシングルですけぇ」

「ほんまにごめん」

「いえいえ」

「じゃあとか明後日どう?」

「話聞けヨ~」

みたいな他愛もなーい会話でキャッキャキャッキャしとったら、

視界の隅っこのほうで久岡くんがビールサーバー相手に格闘してるのがみえた。見切れた。

どうしたんだろーと思いながらね、近寄って尋ねてみた。

 

「どうしたんですか?」

「いや、泡が…ですね…ちょっと…なんか…」

つってね、まぁー、まごついてる。

片手には泡がこんもり入ったもっこもこのグラス。

斬新なラテアートみたいになってた。

 

久岡くん。 

なるほど、と。

ここは熟練のキャバ嬢、ピンときた。

一回、彼の目の前にあるのが泡で出てくるタイプのソープディスペンサーじゃなくて

いつもどおりのビールサーバーだってことをちゃんと確認してから、それからピンときた。

 

ビールって、グラスを傾けて注がないとがっつり泡立っちゃうんだよね。

それで悪戦苦闘してるんでしょ君は、と。

お姉さんはなんでも分かっちゃうんだから、と。 

僭越ながら助言を送ることにした。

 

「あのですねー、グラス傾けて入れないと泡ばっかりになるんですよ」

「えっ、あっ、まじですか!うあっ、ありがと!」

 

つって大仰に喜びながらね、久岡くん、ベストのポケットからメモ帳を取り出して、

なにやらせっせと書きはじめた。

「ビールはグラスを傾けて入れる」とか律儀にメモってんだろうなぁとちょっと感心した。

 

そっから、わたしが質量の少ないラテアートをもったいないから飲んで、

もう一杯ちゃんと美しく注いで飲んで、

煙草を出して銜えて着火してもまだ久岡くん、メモ帳に何か書いてる。

何かしらの百マス計算でもやってんじゃないのってくらい熱心に書き込んでる。 

いやむしろクロスワードパズルかな?ってくらい縦横無尽にボールペン、走らせてる。

 

いやいや一文で済むでしょ何を悠長にと思いながら手元をのぞいたら久岡くん、

ビールサーバーに傾けたグラスをあてがう図を、

丁寧に絵に描いてた。

 

スケッチすな!

ワンポイントアドバイスを丁寧にスケッチすな!

ていうか注文のビールを早急に運べ!

と思いながら、わたしも慌ててビール注いで、

 

「これ何番(テーブル)のやつですか?!」って訊いたら、

「それは横のとこです!」つった。

 

久岡くん!

横じゃわかんないよ!

と思いながら「横じゃわかんないよ!」つった。

ヨコのカギじゃあわからんよ。

 

結局それは3番テーブルのやつで、

ボーイじゃなくてわたしが運んで行ったらお客さんにウケたので、結果的にはよかった。

よくねーよ。

 

他にも久岡くん、その日のうちに本当バリエーション豊富にやらかしまくった。

でっかい銀のトレーを床に落としてお祭り騒ぎの店内を一瞬で静まり返らせたり、

何のでっぱりもない床で蹴っつまずいて肘をちょっとすりむいたり、などなど。

グラスを割るだとか、テーブルを取り違えるだとかは新人さんだし許せるけど、

もうね、新人だということを差し引いてもイージーミスが全部パワフル。

一個一個がね、強い。

 

そんでね、その日の最後らへん、

わたしがついとったとこのお客さんがお水の入ったグラスを倒しちゃって。

すぐにわたしが近くにいた久岡くんを呼びとめて、

「拭くものお願いします」って頼んだの。

 

そしたら久岡くん笑顔で、親指でグッ!ってやって、裏に駆けてった。

グッじゃねーよ!!何で微妙に親しげなんだよ!!って叫びたいのを懸命に抑えた。

このときのね、彼の笑顔でグッ!はね、たぶん一生忘れない。

あんなにへし折りたい不遜な親指にはもう二度と巡り合えないとおもう。

 

そんでしばらくお客さんにだいじょうぶですか?濡れてない?とか言ってたら、

遥か彼方からトレーを抱えた久岡くんの白い髪が、こっちに悠然と歩いてくるのが見えた。

いやトレーに載せんでいいからさ、タオルとか台拭きとかをサッと持ってきてよ、

と思ってたらね、トレーに載ってた。

トイレットペーパーが1ロール。

 

久岡くん!

それは何だよ!!

グッじゃねーよ!!!

って声を荒げたかったけど、ドヤ顔の久岡くんは悠然とこっちへ向かってくる。

なで肩で風を切りながらズンズン歩いてくる。アンストッパブル

心なしかトレーの上に載せられたトイレットペーパーもちょっと誇らしげにみえる。

銀皿の中央に置かれ脚光を浴びるという思わぬ檜舞台に胸を躍らせてる感じ。

もう絶対この仕事辞めようって、あそこで決意を新たにした感がある。

 

そっから数日後、まぁわたしは仕事を辞めたわけだけど、

あの痛恨のトイレットペーパーの日(通称インディペンデンス・デイ)以来、

久岡くんとは一回も顔を合わせることがなかった。

退店の日くらい顔が見たかったなぁーって、

ちょっと残念でもあり、そっちのほうがありがたいような気持ちもあった。

もしかしたら彼はわたしが辞めた事実を知らないままだったりして…と考えもした。

…んだけど、さっき、彼からLINEがきまして。

 

「今週のシフトはいつですか?(^-^)b」(原文ママ

 

久岡ぁ!!!

お前なぁー!!!!

グッじゃねーよ!!!!!